秋空

 百舌鳥の声がうろこ空に物悲しく響く、晩秋の土曜日、広瀬克実はベランダに出て錦に染まる木々をぼんやりと眺めていた。
 澄んだ冷たい空気の中、きらきらと朝の光に輝きサラサラと鳴る木の葉。
「秋だなぁ……ドライブしたいな。散歩でもいいな」
 どこからか金木犀の甘い香りが漂ってくる。
「夏だと暑苦しい香りだけど、冷たい空気にはぴったりだよね」
 ほっと微かにため息をつく。
 昨夜は久しぶりに由孝と熱い夜を過ごした。隅々に彼の熱と感触が残っている。特に繋がった場所は今でも彼がいるような感覚だ。
「由孝さんったら……少し頑張りすぎ」
 出会った頃のような痛いような情熱はもうないけれど、全てを与え合い、包み込むような優しい抱擁が心と体に染み込む。ほっと安堵するような関係。
 まるで自分のものだというように与えられる、烙印。
 首筋に残ったであろう、赤いうっ血の辺りをを克実はそっと指で撫でた。
 そのとき、電話の呼び出し音が唐突に鳴った。
「わっ!」
 慌てて部屋に入り、受話器を取り上げる。由孝はまだ眠っているのだ。こんなに朝早くから誰だろうと、少しばかり腹を立てた。
「はい? 御室です」
 この家の電話番号を知っているのは、由孝が安全、必要だと思った相手だけ。克実が出ても問題はない。
「おっはよー、克実ちゃん」
「高嶋さん? おはようございます」
 聞こえてきた、友人の元気な明るい声にほっとする。
「起きてたんだ。まだ八時過ぎだからどうかなと思ったけど。邪魔じゃなかった?」
「なのに電話してきたんですね。由孝さんはまだ寝てますけど。何か急用ですか?」
 遠慮がないのはお互い様。けれど、これも親愛の情があってこそ。
 高嶋はくすっと笑った。
「また叱られちゃうかな。あ、でね、聞きたいんだけど、克実ちゃんて食べ物に好き嫌いある?」
「唐突ですね。んー……別にないですけど。何でも食べますよ」
「そ、よかった。じゃあ大丈夫だね、あ、ごめん。どうもありがと」
「えっ? 高嶋さん?」
 慌しく電話が切れた。
「なんだろ。ま、いつものことだけど」
 高嶋の気まぐれや常識から外れた行動は珍しいことではない。
「どうした? 誰からの電話だ?」
 由孝がパジャマのズボンだけの姿で、不機嫌そうな寝起きの顔をして現れた。
「高嶋さんから電話です。別に用事はなかったみたいですよ。おはよう、由孝さん。すごい寝癖」
 克実は乾いた由孝の唇にちゅっとキスをして、くすくすと笑いながら、ぼさぼさの髪を撫で付けた。
 
 
 翌日、日曜日の昼近い頃、宅配便が届いた。
 送り主は、高嶋成樹。由孝にではなく、克実にだ。
「なんだろ」
 小さな箱はとても軽い。
「あ……」
 一瞬、秋の香りがした。土と枯葉の香りだ。
「もしかして」
 克実はいそいそと箱をリビングに運ぶと、封をとく。
「なんだ?」
 由孝が怪訝そうな顔をして、本から視線を外した。
「高嶋さんからです。俺あてに」
「成樹から? 何かまた悪巧みをしているんじゃないだろうな」
 何度となくサプライズを仕掛けられている由孝は、嫌そうな顔をしてじっと箱を見ている。
「あ、やっぱり! うわっ、すごい!」
 箱に詰められた桧葉の葉の間から顔をのぞかせたのは、みごとな松茸だった。一目で国産の高価なものだとわかる代物だ。傘が開いた大きなものが一本、まだ開く前のものが二本、並んでいた。
「うわーっ、立派だなぁ」
「松茸か?」
 テンションがあがる克実とは正反対に、由孝は眉間にしわを寄せて箱の中を覗き込む。
「ふん、くだらん。あいつは何を考えているんだ」
「えっ、すごいですよ。これ、国産だからすっごく高いですよ。ああ、これを送ってくれるから昨日電話で確認したんだ」
 克実が目を見張ると、ますます嫌そうな顔をした。
「俺は食わんからな」
「えっ、もしかして由孝さん、嫌いですか? 美味しいのに!」
「ただのキノコだろう。そんなものに金を出すやつの気が知れんな」
 苦笑して気づいた。高嶋は、長年の付き合いがあるのだから、由孝がこれを嫌いだと知っていたはず。
 ちょっとした悪戯心があったのかもしれない。なんだかほほえましい。
「高嶋さんってば、ほんとに由孝さんが好きなんですね」
「どういう意味だ? ただの嫌がらせだ。どうせ、どこかの山奥にあの男と行って浮かれているんだろう」
 じろっとにらまれた。でも、と克実はじっと松茸を取り出してしげしげと眺める。
「どう料理したらいいんですか?」
「ふん」
「土瓶蒸しか、松茸ご飯。てんぷらとか……。由孝さんのお母さんなら知ってますよね」
 彼の実の母親は小料理屋を営んでいる。
「ああ」
「聞いてください」
 きっぱりと告げると、嫌そうな顔をした。
「ネットで調べろ」
「嫌なんですか? たまにはお母さんに声を聞かせてあげたらどうですか」
 忙しいからといって、年始年末くらいに会うだけで、それ以外は自分から電話をいっさいしない。母親も忙しい息子を気遣ってたまにしか電話をしてこない。それにしても、たった一人で暮らしている母親をほったらかしにするのはどうかと思う。電話で安否を気遣うくらいしてもいいのでは、と克実はため息をついた。
「面倒だ。元気なのはわかっている」
「何かあったら連絡がある、でしょ」
 それだけではないのだろう。きっと克実を気遣ってのこと。
 母親がこのマンションに来ることを避けたいのだ。
 今までも、由孝の母親が訪れたときは、克実は「仕事が終わりましたから」と、部下の顔をして自分のダミー用のマンションに移る。そういう煩わしさと心苦しさを避けたいのだろう。
「わかりました。ネットで調べます。でも美味しく料理できるかどうかは知りませんからね」
「だから俺は食べない」
 そう言いながら、由孝はじっと松茸を見つめていた。
「なんですか?」
「いや、なかなか」
 くすっと笑う。
「はい?」
「なるほど、似ている。特におまえのその持ち方が、いやらしいな」
「はあ?」
 何が、と自分の手元を見て……。
 傘の開いていない松茸を支えるように持つ指が、あのときの形に似ていて。
「あ……」
 気がついた。とたんに恥ずかしさに顔が染まる。
「由孝さんっ! やめてください!」
「何が?」
 とぼける男を克実はにらむ。
「もーっ! 食べられなくなるじゃないですか!」
「どうしてだ? いつも俺のを美味しそうに食べているじゃないか」
「由孝さんっ!」
 それはそれ、これはこれ。食べ物と一緒にしないでほしい。
「由孝さんだって俺のをいつも食べてますよね! 変なことを言った罰です。食べてもらいますからね!」
 ふん、と頬を膨らませた克実に、由孝はにやりと笑った。
「克実のだと思えば食べられるかもな」
「やめてください〜っ…食べ物をそんなふうに……」
 せっかくの高価な松茸なのに、食べるたびに思い出してしまうのはどうかと……。
 トホホな気分の克実に、さらりと言った。
「ま、その後は本物を食べるから大丈夫。俺はそっちのほうが好みだ」
「ああ……もう。オヤジギャグですよ、それ」
 がっくりと肩を落とした姿に、由孝は楽しそうに笑った。
 
 
 その頃、関西の温泉地にいた高嶋は、離れの露天風呂につかりながら、目の前の若林に嬉しそうに言った。
「由孝、怒ってるかなぁ。あいつ、松茸って嫌いなんだよね」
「いいかげんにしなさい、成樹。克実くんがかわいそうだろう」
「平気だって。いい退屈しのぎになっているよ、きっと」
「あのふたりは退屈しないだろう。それとも何かね。成樹は私といると退屈を感じるのかい?」
 不安そうに、そして少しだけ拗ねた若林に、高嶋は体を寄せる。膝の上に跨って、首に腕を絡めた。
「ふふっ、やきもち? 大丈夫、だって正宏だもの」
「ん?」
「見かけは紳士だけど、中身はすごーくエッチな正宏が大好きだよ」
「それって、ほめ言葉?」
「もちろん! 最上級のね」
 くすくす笑いながら二人はキスを交わした。
「困ったな……朝から元気なんだけど」
「何が困るの? 俺、大歓迎♪」
                                       ●終わり●
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