スノウ・シンフォニー 【2】 (ドラマCDシナリオ原案)
その頃、克実はベルニナ特急の中にいた。
「まいったなぁ……、まさか列車に乗るとは思わなかった。こっちが手間取ってる間にさっさと乗っちゃうんだもんな。前もってチケットを用意してたって事は計画的だな。何処へ行くつもりだろ。たしか、この方面のベルニナ特急ってイタリア行きだよね……。国境は越えないでくれよ、サレハ」
 克実はため息をついた。
「こんなときに携帯忘れるなんて……。俺ってバカ。でも、財布持ってただけでもマシか……」
 サレハはずっと窓の外を眺めたまま。
 声をかけたほうが良いのかもしれない。だが、幼い王子が思い詰めたような顔で国境に向かうのは何か理由があるのかもしれない。
 兄や両親には言えない何か……。それを簡単に克実に言うはずがない。
 今彼を連れ戻すことは簡単ではないだろう。
 迂闊に声をかければ、連れ戻されたくない王子は、克実を誘拐犯扱いするかもしれない。騒ぎになればもっとまずい状況になる。
「とにかく、様子を見るか」
 仕方がないと、克実は窓の外に目を向けた。そこにはアルプスの雄大な風景があった。


「私は何もしていないし、今朝は君たちに起こされるまでベッドにいた」
 不機嫌なシェリクを高嶋が取りなす。
「まあまあ、王子の無実が証明されたわけだからいいじゃない」
「よくないっ! せっかくベッドで隼人と楽しく過ごしていたんだぞ」
「それはごめんなさい。でも、克実ちゃんは今までのことがあるし。何か気になることとかなかったかなと」
「べつに……他の男に色目を使われたということもないし、トラブルがあったわけでもない。それは君たちがよく知っているだろう」
 シェリクの言葉に若林が頷く。
「そうだね。知る限りでは危険な状況はなかった」
 誰もが沈黙したとき、ノックの音が部屋に響いて隼人が現れた。
「サレハ様が……お部屋にいらっしゃらないそうです。皆様が捜しておられます。もしかしたら、広瀬さんは王子とご一緒ではないでしょうか」
「サレハが?」
 シェリクが顔色を曇らせると、由孝が唸った。
「可能性はあるな。おまえの弟は前歴がある。また克実を巻き込んだんじゃないのか?」
「うー……否定できない」
 シェリクが唸った。
「とにかく、捜しましょう。ここでじっとしていても始まらない」
 隼人の言葉に、全員が頷いた。


「まずいよ……もうすぐ国境だ。パスポートがない……」
 克実は焦っていた。サレハは一向に降りる気配がない。
 次の駅で降りなければイタリアに入ってしまう。パスポートがない克実は国境を越えられない。
「ごめん、サレハ。強硬手段に出るよ」
 克実は席を立つとサレハがいる座席を目指した。
 だが、その行く手を日本人らしき女性が遮った。
「すみません。あなた、日本人ですか?」
「ええ、はい」
 愛想よく応えると、相手はお喋りの相手を捜していたようで、次々と語りかけてくる。
「私、仕事でこちらに来ているんですよ。もう五年になるかしら。あなたは観光ですか? どちらから?」
「そうですか。私は仕事のついでの観光です。東京からです」
 つい相手をしてしまうのが克実の優しさ。そんな様子をサレハがじっと見ていた。
「カツミ?」
「サレハ」
 少年は慌てて席を立った。
「サレハ、待って!」
「ぼくは、かえらない。いたりあにいく」
「ダメだよ。みんなが心配するよ!」
 慌てて逃げようとしたサレハを捕まえる。
「こらっ! どうせ黙って出てきたんだろう!」
「いやだっ! はなして!」
「サレハ、理由を聞くから、とにかく次の駅で降りるんだ!」
「おりない! ぜったい、おりない! おまえなんかきらいだっ!」
「わかったから暴れるんじゃない! ……強情だなっ。まったくシェリクにそっくりだよ……」
 暴れるサレハを羽交い締めにした、とほほな気分な克実の肩を女性が掴んでいた。
「何をしているの? 子供を苛めてはダメでしょう!」
「えっ! いえ、違うんです! これには事情が……えっ、ちょっと」
「事情を聞くわ。次の駅で降りて。逃げようとしてもダメよ。私、空手の有段者だから」
「そんな……違いますって! サレハ、違うって言いなさい」
 だが、小悪魔は怯えたように女性の後ろに隠れた。
「ぼく、この人しらない」
「サレハ! 冗談はやめなさい!」
「ほら、怯えてるじゃない!」
「……どうしてこうなるんだ……」
 がっくりと克実は項垂れた。


 シェリクと由孝は、隼人の運転する車でレ・プレーゼ駅に向かっていた。
「まったく……こんなことになるとはな」
 由孝は憮然と呟く。
 隼人は雪道に集中しながら、苦笑した。
「ええ、ほんとうに。申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」
「おまえが謝る事じゃない。悪いのは後ろに座っている男だと思うが?」
「わかっているよ……由孝。すまないと思っている」
 いささか元気のないシェリクがため息をついた。
「サレハは私と似ている。冒険心が旺盛で、頑固だ。こうだと一度思ったら、どんなことがあっても貫こうとする。父の血なのだろう。母も教育係のラシーンも苦労しているんだ」
「だからといって、他人に迷惑をかけるのは感心しないな。一応王子なんだから、自覚を持たせるべきだろう。七歳といえばもう分別のある歳だ」
「そうだな……。父も私もサレハたちを奔放に育てすぎた。今から厳しくするぞ!」
 決意を表明したシェリクの言葉を聞いて、隼人がくすっと笑う。
「無理だと思いますよ」
「ああ、奴自身が奔放だからな」
「ええ、頑固で一途で熱血漢。それでいて優しくて情が深い。それがアスマ一族の血ですから。その血が砂漠の民の証です」
 ふっと由孝が笑う。
「おまえも、かなり毒されてきたな。だが、手綱を緩めるなよ。この男は何処に突っ走っていくかわからん」
「はい。それは心得ています」
 くすくすと隼人も笑う。
「砂漠にぽつんと置き去りにされたくはありませんから……」
「なんだ? 誰が隼人を砂漠に置き去りにするんだ? そんなことは絶対させない!」
 鼻息も荒いシェリクに肩を竦めると、由孝はアルプスの山々を見つめた。
「それでも、この男の元に戻るのだろうな……。おまえも、そして克実も強い。華奢な身体と優しそうな顔をして、どこにそんな情熱を秘めているのか……。俺は時々恐くなるときがある」
「恐い? どうして……」
 隼人が不安そうな顔をした。
「どう言えばいいのか……。その情熱に俺はちゃんと応えているだろうか。克実を不幸にしていないだろうかと」
「……御室さん、私も広瀬さんも青臭いガキじゃありません。恋に恋している頃は過ぎました。分別のある大人ですから」
「ん?」
「愛する価値がある人だからこそ、ついていくんです。きっと広瀬さんも同じだと思いますよ」
「俺に価値があるだろうか」
「ありますとも。御室さんは素敵です」
「なんだ? 由孝が素敵だと聞こえたぞ! 隼人! 私に聞こえないように喋るな!」
 由孝も隼人も苦笑した。
「ガキだな」
「はい」
 暫くして隼人は笑顔をすっと消して呟いた。
「でもね、御室さん。もしも……」
「『もしも』なんてことは考えるな。無駄だ」
「え?」
「わかりもしない未来に怯えてどうする? 不安なまま時間を費やすなんて無駄だと言っているんだ。一途に生きろ。おまえはそれでいい。それに、この男はおまえを手放したりはしない」
「御室さん……」
 暫くして、隼人はきっぱりと言った。
「御室さんも広瀬さんを手放したりしない。そうでしょ?」
「あたりまえだ」
 少し照れたような顔をした由孝に、隼人はちらりと視線を向けて、満足そうに微笑んだ。
「あ、ほら。レ・プレーゼに着きます。広瀬さんとサレハ王子がお待ちかねですよ、きっと」


 ふたりは小さな町の駅前のホテルにいた。
 こぢんまりとしたロビーのソファに、神妙な顔で揃って座っていた。
「克実!」
「サレハ!」
 三人が姿を見せると、克実はほっとしたように立ち上がって迎えた。
「早かったですね。よかった……どうしたらいいかわからなくて」
「すまない。克実、迷惑をかけた」
「いえ。サレハが無事でよかったです」
 シェリクは女性に手を差し伸べて握手を求めた。
「この度はありがとうございます。弟を保護してくれて」
「え、いえ……偶然っていうか……。私もすごく勘違いをして」
 女性は恐縮したように頭を下げる。
「広瀬さんがこのお子さんを誘拐しているように見えて……。疑ってごめんなさい」
「いえ、仕方がないです。サレハが嘘をついたんですから」
 克実が苦笑すると、サレハはますますしょんぼりと肩を落とす。
 シェリクは彼を睨んだ。
「理由は後で聞くことにします。サレハ、この方に謝りなさい」
「……ごめんなさい」
「いいのよ。二度とみんなに迷惑をかけちゃダメよ。それから嘘もいけないわ」
「……はい」
 こっくりと頷いたサレハの頭を撫でると、女性は安心したように微笑む。
「では、私はこれで」
「改めてお詫びをしますので連絡先を教えてください」
 隼人の言葉に女性は首を横に振った。
「それには及びません。でも……」
 と名刺を差し出した。
「また、何か困ったことがあったら遠慮なくご連絡くださいね。じゃあ、次の列車が来ますので」
「ありがとうございます」
 全員が頭を下げると、女性は手を振って去っていった。
「とにかく……よかった」
 由孝はほっとしたように言うと、克実の肩を抱いた。
「また誘拐されたかと思った……」
「そんなに何度もされませんよ」と克実が笑う。
「でも、本音は冷や冷やしました。警察の厄介になったらどうしようって」
「サレハ!」
「ああ、シェリク王子、あんまりサレハを叱らないでください」
 顔色を変えたシェリクを克実は宥める。
「イタリアにいる友達に会いに行くつもりだったようです」
「なぜ……そんなことを」
「とにかく、今は無事を喜んでやれ」
 由孝に促されるとシェリクは顔をしかめながらも、弟をきつく抱きしめた。
「克実のおかげだ……感謝する」


 シェリクの部屋。
 全員がサレハと克実の無事を喜んでいた。
「克実ちゃん無事でよかったねー。またかって心配したよ」
「もう……高嶋さんまで。俺ってそんなに頼りなさそうですか?」
「頼りないっていうか、男心を惑わす魅力があるっていうか」
「やめてください。ほら、由孝さんが睨んでますよ」
「ごめん、ごめん」
 高嶋が笑って首を竦める。
「でも、サレハの行動力にはびっくりするよ。どうしてイタリアに行くつもりだったのかな?」
 若林の言葉にシェリクが頷く。
「毎年、この時期、顔を合わせるメンバーは同じなんだ。懇意にしている家族も多い」
「ああ、ここは高級リゾート地だからね。セレブの社交場みたいなものだ」
「サレハも仲良くなった友人がいる。親友といってもいいだろうね。今年はその親友が病気だとかで一家が来ていなかった」
「なるほど、それで……サレハ王子は」
「イタリアにいる彼に会いに行こうと思ったらしい」
「感動だなぁ。いい話しじゃないですか」
 高嶋がうんうんと頷く。
「王子にとって、彼はとても大切な友人なんだね。そんな生涯の親友なんてそうそう出来るものじゃない。羨ましいなぁ」
「本当ですね」と克実。
「だが、彼はまだ子供だ。自分の欲望を貫こうとすれば、家族に、そして多くの人々に迷惑がかかるということを教えてやらないとな」
「ああ、その通り。今頃は父に叱られて反省しているだろう」
 由孝の言葉にシェリクが同意した。
「だが、いくら叱られても反省が足りない男もいるらしい。勝手気ままに育ってしまったようだな」
「ん? それは誰だ?」
「身に覚えがあるだろう」
 由孝の言葉にシェリクは唇を尖らせた。
「私のことか? 心外だな。私の何処が勝手気ままなんだ!」
「自分の欲望だけで、克実を拉致したのは何処のどいつだ」
「今井くんだって睡眠薬を使って拉致監禁したよ? これは立派な犯罪だよね」と高嶋がシェリクに詰め寄る。
「それは……もう過去のことだ。言わないでくれ……。すごく反省しているんだから……」
 シェリクは急に借りてきた猫のように背中を丸めた。
「もう、いいじゃないですか。そんなに王子を苛めないで」
 克実が笑う。
 隼人も苦笑した。
「そうですよ。充分に反省していらっしゃいます。それにもう大人になられました。あの頃の王子ではありません」
「それは、今井くんがいるからだよ」と高嶋。
「そうだね。王子にも今井くんという生涯の友ができた。だから変われた」
 若林の言葉にシェリクは微笑む。
「ああ、私は隼人に救われた。あの頃のままだと、私は権力を振りかざすわがままな王になっていただろう。隼人に人を愛することを教えられて、権力の虚しさを教えられた」
「シェリク王子……それは言い過ぎです」
 照れる隼人をシェリクは抱き寄せた。
「孤独という砂漠に置き去りにされかけていたのは私のほうだ。それをおまえは救ってくれた。私は誓って恩人を砂漠に置き去りになんかしない」
 隼人は目を見開いた。
「車の中の会話、聞こえていたんですか?」
 くすっと笑うとシェリクはその手の甲にキスをする。
「ああ、全部ね。愛する隼人の言葉だもの」
「あー、ごちそうさま! もう暑いったらありゃしない」
 高嶋の言葉にシェリクは首を傾げる。
「前から気になっていたんだが……その、『ごちそうさま』とはどういう意味だ?」
「それはですね」
 高嶋の言葉を由孝が遮った。
「他人の惚気など、バカらしくて聞きたくないってことだ」
「もう、由孝さん。言い過ぎですよ」と克実がたしなめる。
「まあ、その通りなんだが」と若林が笑った。
「幸せな話を聞いて、お腹がいっぱいになったということですよ」
「なんだ、そういう意味か。それならいくらでも聞かせてやるぞ?」
 嬉しそうなシェリクに由孝はうんざりという顔をした。
「まったく……脳天気な奴だ」
「それこそ、ごちそうさまだよね。あー、やってらんない。俺たちも部屋に戻っていちゃいちゃします。ね、正宏」
「こらこら」とまんざらでも無さそうに若林が微笑みながら席を立った。
「では、王子、後ほど」
「じゃあ、俺達も失礼します」
 克実も潮時だと席を立つ。
「あとで高嶋さんのピアノ、聞きに行きますね」
「うん、ぜひ。みんなのために甘ーいラブソングを弾いてあげるよ」
「やめろ。虫ずが走る」
 由孝が露骨に嫌な顔をした。
「何を言ってるの。天才ピアニストの高嶋成樹が弾いてあげるんだよ?」
「そうだよ御室くん。私の成樹のピアノは世界一だ。有り難く聞きたまえ」
「それこそ、ごちそうさま、ですよ。若林さん」
 克実の台詞に全員が笑った。


●END●
GUSHの全プレで製作していただいたドラマCDの原案シナリオです。
本編は残念ながら尺の関係で若干削除された部分がありますが、
完成したものはすごく良い出来だったと思います。
小説としてはどうかと思ったんですが、せっかくなので記念(?)として島に掲載を許可してもらいました。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。   201105 (かんべ)
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