スノウ・シンフォニー 【1】 (ドラマCDシナリオ原案)
「シェリクからだと? あいつはまた何か企んでいるのか?」
 御室由孝は怪訝そうに広瀬克実を見た。
「そんなに疑っては悪いですよ、由孝さん」
 克実は苦笑した。
「これはスキーのお誘いです。休暇にどうかって。スイスだそうです。いいですねぇ」
「シェリクのことだ、どうせまた俺達を厄介なことに巻き込むに違いない。それに三月のヨーロッパなんて、ただ寒いだけだ」
「それはそうですけど。そんなことを言ってたら、どこにも遊びに行けませんよ。まったく……仕事だと文句も言わずに世界を飛び回るくせに」
 現実的な恋人に克実は唇を尖らせた。
「ホテルも飛行機のチケットも用意してくれるそうです。王子のことだからきっとスイートとファーストクラスですよ」
「ふん、くだらん」
 由孝は一蹴した。
「じゃあ、お断りしますね。あーあ、せっかくのスイスなのに……。ま、いいか。四月のドイツでの商談もあるし。そのときに、ついでにスイスっていうのもいいよね」
 克実のがっかりした声に、由孝は眉をひそめた。
「商談?」
「ええ、お忘れですか? ハサウェイ・ガーデン社のウィリアムさんの紹介で……」
「ああ、そうだったな。……そうか、予定を繰り上げればいいじゃないか。変更はできるな?」
「ええ。たぶん。先方はいつでもかまわないと仰ってましたから」
 由孝はニヤリと笑った。
「たしかに、せっかくのチケットだ。我が社のためにせいぜい有効利用させてもらおう。克実、シェリクに言っておけ。快適な旅を期待するとな」


 スイスのサンモリッツ。三月とはいえ、まだ白銀の世界。
 サンモリッツ湖畔の高級ホテルの前にシェリクと隼人はいた。
「いい天気だ。絶好のスキー日和だな、隼人。それにホテルの目の前が天然のスケート場というのもいいものだ。今度王宮に造ってみよう」
 機嫌がよい男の隣で、今井隼人は浮かない表情だ。
「そうですね、シェリク様……」
「ん? どうした、なんだか元気がないな。昨日はそんなに無理させたつもりはないが」
「そういうことではありません! 人前ではそういう話はおやめくださいといつも申し上げているはずです。今回は国王ご一家と一緒なのですから気をつけないと」
 隼人は頬を染めながら抗議した。
「父と母たちはスキーに興味はない。目的は『スノー&シンフォニー音楽祭』だからな。部屋でのんびりしているさ。それに今回は口うるさいアーマドもいない。あー、自由だ♪ 最高だ♪」
 晴れ晴れとした表情のシェリクを呆れたように隼人は見つめた。
「お気楽ですね。王子は何も気になりませんか?」
「ん? 何が?」
 隼人はホテルの庭で雪をぶつけ合ってはしゃぐ王子たちを見る。
「サレハ様が……サンモリッツに来てから、なんとなく元気がないように見えますが」
「そうか? そう言われればサレハらしくないな。いつもなら先頭を切ってはしゃぎ回るのに。おおっ、一斉に雪玉を当てられてる。やられっぱなしじゃないか。風邪でもひいたか?」
「そんな感じではないのですが……」
「隼人、弟たちのことなど放っておけ。せっかくの休暇だ。おまえも仕事を忘れて、今は私との時間を大切にしておくれ」
 抱き寄せられて隼人は慌てる。
「王子! ここでは人目が!」
「大丈夫だって。これだけ着込んでいたら、誰だかわかりはしない」
「ちよーっと、こんなところでいちゃいちゃしてていいんですか、おふたりさん」
 突然、ホテルから出てきた男に声をかけられ、隼人はシェリクをおもいっきり突き飛ばした。
「隼人! 何をするんだ……」
 雪に埋もれたシェリクが情けない声を出した。
「あはははは、砂漠の王も雪の中では手も足も出ないってかんじ?」
 朗らかに笑ったのは高嶋成樹だった。
「ダメですよ、ほら、壁に耳あり障子に目ありです。気をつけないと」
「なんだ、それは?」
 シェリクの問いに、隼人が手を差し伸べながら答えた。
「日本のことわざです。どんな場所でも細心の注意を払えということです」
「なるほど」
 シェリクは感心したように頷く。
「ところで、高嶋。きみには弟たちのお守りを頼んだはずだが?」
「おや、丁重にご辞退申し上げたはずですが?」
 高嶋は恭しく胸に手をあてて礼をした。。
「私は音楽祭に出演するために、アブラハム様にピアニストとして招待されたのですよ。王子に子守係で招待されたわけではありません」
「堅いことを言うな。弟たちはおまえをとても気に入っている。遊んでやってくれ」
「遊ぶのはかまいません。けど、子守はだーめ」
「おはようございます。絶好のスキー日和ですね」
「正宏♪」
 現れた男の腕をとって、高嶋はにっこりと微笑む。
「俺がいないとダーリンが寂しがるでしょ? ねー」
 突然話題を振られ、何事かと若林が首を傾げた。
「なんだい、成樹? えーっと……どうかしましたか?」
 シェリクは憮然と若林を睨んだ。
「だったら、君たちふたりで子守をしたまえ。それなら寂しくないだろう」
「はあ……?」
「正宏、迂闊に返事しちゃダメだ! せっかくのふたりきりの時間がなくなるでしょ。俺はここで正宏とおもいっきりいちゃいちゃして過ごすつもりなんだからね」
「それはとっても嬉しいんだが……。どういうことだ? 私には話が見えないよ、成樹」
「王子、無理強いはおやめください」
 隼人が呆れたように割って入った。その時、駅方向からやって来た二人連れの一人が手を振りながら四人に声をかけた。
「皆さん、お久しぶりですー! 遅くなってすみません!」
「克実ちゃんと由孝? やっほー、元気だったー?」
 嬉しそうに高嶋が手を振り返す。
「御室さんたち、着いたようですね」
 隼人の言葉に王子は頷くとニヤリと微笑んだ。
「適任者がいたじゃないか」


「いきなり子守をしろとは、どういうつもりだ」
 由孝はソファにダウンジャケットを放り投げると、そこに落ち着いた。
「だって仕方がないでしょう。他に手の空いている人はいなかったし、子供たちだけで湖に行かせるわけには……。」
 苦笑しながら、克実は隣に座った。
「でも、ゆっくりと弟さんとお話ができてよかったじゃないですか。久しぶりでしょう?」
「ああ、まさか英司が来ているとは思わなかった」
「王子もきっと気を遣ったのかもしれませんよ。兄弟水入らずでって」
「そんな気が回るものか。あいつはただ、弟たちをおまえに押しつけただけだ。ちゃっかり高嶋たちとスキーに行ってしまったじゃないか」
「そうですけど……。ま、いいじゃないですか。今日はホテルでのんびりしましょう。由孝さん、日本を出るときからお疲れでしたからね」
 心配そうに顔を覗き込む克実を、由孝は抱き寄せる。
「大丈夫だ。おまえこそ疲れただろう」
「俺は平気です」
「克実」
「ん……」
 軽いキスに応えると、克実はうっとりと微笑む。
「心配して損した。元気ですね」
 くすくすと笑う口を由孝はキスで塞ぐ。
「克実を抱けば心地好いし、疲れも吹き飛ぶ」
「俺は抱き枕ですか?」
「そんなところだ」
「いいですよ、今日は存分に抱き枕になってあげる……。でも明日はスキーしましょうね」
「スキーなんてどうでもいい」
「そんな……あ…ん……」
 愛撫に身悶える克実の耳に、由孝は囁いた。
「いいな、ここにいる間はシェリクには気をつけろよ。あいつに関わると、ろくなことがないからな」
「大丈夫です……それに……今回は事件も起こりようがないですよ」
「そう願いたいものだな」
「由孝さん……ここで? ベッドがいい……」
 甘い懇願に、由孝は微笑む。
「せっかちだな、克実」
「ん……だって……火をつけたのは由孝さんですよ?」
「そう煽るな。時間はたっぷりある……」
 由孝は微笑むと克実を抱き上げた。
「わっ!」
「まずはシャワーだな」
「夕食は? 王子たちと約束があるでしょう?」
「それまでには時間がある」
「どうだかなぁ……きっと無理じゃないかな」
 克実は苦笑しながら、ため息をついた。


翌日の早朝、克実はこっそりと部屋を出た。
 由孝は満足そうにぐっすりとベッドで眠っている。彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出したのだ。
「由孝さんはまだ起きないだろうな。夜中に会社の三浦さんと連絡を取って仕事をしてたみたいだし。社長ってたいへんだ」
 早朝のロビーは意外と人々でにぎわっていた。
「えーっと、軽く何か食べて散歩でもしようかな。ん? あのちびっ子は、もしかしてサレハ王子?」
 見覚えのある少年は辺りをきょろきょろと見回すと、エントランスへと向かう。
「ひとりで出かけるつもり? それはまずいでしょ」
 過去の出来事が克実の脳裏に浮かんだ。
「わずか五歳で、シェリク王子の後を追って、ひとりで日本にやってきた前歴もあるからなぁ……。なんか、ヤバイ気がする。こっそり後をつけるか。ダウンジャケット持ってきててよかった」
 慌ててそれを着ると、サレハの後を追った。


 明るい陽射しが差し込むカフェテラスで、高嶋と若林はまったりとお茶を楽しんでいた。
「正宏♪、今日は何して遊ぼうか」
「そうだな、スキーと言いたいところだが、昨日張り切りすぎて身体が筋肉痛だし。運動不足を感じるよ。やはり私も歳なのかな」
 苦笑する若林に、高嶋はぷくっと頬を膨らませる。
「歳だなんて言うな。正宏はまだまだ若くて格好いいんだから。昨日だって女性にモテモテだったじゃん」
「そんなことはないさ。彼女たちのお目当てはきみだったよ。ほら、今だって熱い視線で……おや、御室くんだ」
「えっ?」
 視線を向けたふたりに気付いたのか、険しい顔の由孝が歩みを早めた。
「おい、克実を見なかったか?」
「朝から何事? ケンカでもした?」
 からかう高嶋を由孝はじろっと睨む。
「シェリクはどこだ」
「知らないよ。なんなの、克実ちゃんとシェリクがどうしたのさ」
 立ち去ろうとした由孝を若林が引き留めた。
「克実くんがいないのか? シェリク王子はまだ部屋にいると思う。まだ姿を見かけていない。湖にもらしき姿はないみたいだな」
 若林は目をすがめて湖を見た。
 高嶋が心配そうに席を立つ。
「克実ちゃんがいないってどういうこと? ちゃんと捜した? 携帯で呼んでみれば?」
「部屋に置いてある。ジャケットがないからもしかしたら外かもしれない。だが、あいつがひとりで、こんなに朝早くから出かけるとは思えない」
 高嶋と若林は顔色を曇らせた。
「まさか……また?」
「ちょっと! ぼんやりしている場合じゃないよ! シェリクだよ、シェリク!」


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